Gランクハンターの妹
昔と比べて、ずいぶん街並みは変わってしまった。
蚊によって破壊されたビルをあちこちで見かける。壊されたビルは、修繕や立て直しはされず、そのままになっていることが多い。ビルのオーナーも、破壊されるリスクが高いビルを何度も修繕しようとは思わないのだろう。
今ではビルよりも、避難するための地下シェルターが飛ぶように売れている。家の敷地に作る小型なものから、マンションやビルに隣接する形で作るシェルターまでさまざまなタイプのシェルターが売られている。
地下シェルターは、蚊の脅威から身を守るために、現状考えられる最も有効な手段のひとつだ。金持ちは大金をはたいて強固なシェルターを造り、自身の安全を確保している。
しかし、金銭的な事情でシェルターを持てない人も多い。というより、そういう人が大多数だろう。個人で地下シェルターを持てるほどの余裕がある人は、どちらかというと少数派だ。
そのため国も多額の予算を割いて補助金を出したり、国営のシェルターを造ったりしている。毎年のように設置数を増やしてはいるが、まだまだ数は足りていない。
さらに、国営のシェルターは人が押し寄せるうえに、ほとんどの人にとっては自宅から離れている。シェルターへの移動中に襲われることもあるし、シェルターに着いても、あまりの混雑ですぐには中に入れないことが多い。
蚊は、人が多いところに集まってきてしまう習性があるため、国営シェルターへの避難経路が最も襲撃される危険性が高いのが実情になっている。
すっかり変わってしまった街並みを眺めながら、ふと物思いにふけてしまう。
「……ねえ、お兄ちゃん」
かすかに呼ぶ声が聞こえる。聞こえてはいるが、まるで音が耳の中を通過するだけのように、言葉が脳みそで正常に処理されない。
「ねえ!お兄ちゃんってば!!」
苛立ちの感情が混ざった甲高い声が鼓膜を突き刺す。
「なんだよ、綾(あや)。急にデカイ声出すなよ」
「急にじゃないわよ。何度も呼んでるのに返事しないから」
14年前、俺と一緒に蚊の襲撃から生き延びた妹の綾は、昔から気が強く、最近ではそれに拍車が掛かっている感じがする。兄としての威厳を木端微塵に吹き飛ばされることもあるから、若干困ってしまうのだが。
友達の間では”姉御”なんて呼ばれているらしく、我が妹ながらたくましいと思う。
「前の依頼でお兄ちゃんケガしてたでしょ。弱いんだから無茶しちゃダメだよ」
「兄のプライドを傷つけるセリフをそんな簡単に言うなよ。それにケガっていったって、かすり傷程度だろ。そもそもFランクハンターなんて危険地域から離されるんだから、前線に行くお前より危険性は低いぞ」
「それはそうかもしれないけど、そういうことじゃなくて……」
綾が急に口籠もり、歯切れが悪くなった。本当に伝えたいことは別にあるのだろうが、どうやら言いにくいことのようだ。綾と話をしていると、そういう場面にたびたび遭遇する。
実は、綾もモスキートハンターの一人だ。つい最近、モスキートゲートに触れて覚醒者になった。
モスキートハンターとしては、なんとAランク。例外的なSランクを除けば、国内トップクラスのハンターになったということだ。ハンター試験では、ほかの覚醒者とは比較にならないほどの能力の高さを見せつけたと聞いている。
まだ初依頼をこなしていないので駆け出しハンターという状況ではあるが、実績を積んでいけば、いずれAランクの依頼もくるようになるだろう。
ただ、依頼のランクが上がるほど、当然のことながら危険も大きくなる。Aランクともなれば、最前線で蚊と戦うことになるだろう。
唯一の救いは、駆け出しのときには比較的危険が少ない依頼を回されることだ。
いくらポテンシャルが高いといっても、慣れないうちから危険度が高い依頼をさせてしまうと、いたずらに貴重な人材を失うことになる。そのためモスキートハンターは、慣れるまでは2つ下のランクから依頼をスタートさせることになっている。
実績を積み、依頼に慣れてきたと協会が判断したら、依頼のランクが上がっていく。命を落とすかもしれない危険な依頼なわけだし、当然の措置といえる。
たまに飛び級のような形で一気に依頼のランクを上げてしまう猛者もいるが、そういうのは例外の部類だ。
まあ、最低ランクであるFランクの俺は、スタートも今もFランクの依頼なのだけれど……
そんなことはどうでもいいか。今は、これから初依頼をこなしていく綾のほうが心配だ。
「俺のことより、自分の心配をしろよ。いつ初依頼がきてもおかしくないんだから。最初は能力的に危険性が低い依頼がくるはずだけど、現場では何が起こるか分からないんだからな」
「分かってるよ。でも私は大丈夫だから。それよりお兄ちゃんのことが心配なの」
「心配してくれるのは嬉しいけど、俺は大丈夫だよ。もうハンターになって2年も経つし、今まで大きなケガとかもなくやってこれただろ。得意気に言うことじゃないけど、危険を避けるのは得意なんだよ。だから綾は自分の心配だけしてたらいいんだよ。分かった?」
「もう、お兄ちゃんのバカ。ケガしたって知らないんだからね」
拗ねたような表情で綾が憎まれ口を叩いた。
母親を亡くしてから、俺たち兄弟はお互いを支え合って生きてきた。
綾が生まれてすぐに、母さんと父さんは離婚をしている。それから一緒には暮らしていないし、ずっと連絡もないから、父さんがどこで何をしているのか一切分からない。それどころか生きているかも不明だ。
そんな事情もあって、自分が父親の代わりになって綾を守っていかなければいけなかった。お世辞にも”カッコイイ兄”とはいえないけど、妹を支えるために精一杯がんばってきたつもりだ。
綾もそんながんばりを傍で見ていてくれたし、支えてくれた。その影響もあってか、若干ブラコン気味の妹が出来上がってしまったようだ。
とはいえ、今や我が妹はAランクのモスキートハンター。今までは妹を守る立場だったのに、いきなり実力もランクもぶち抜かれてしまった事実に戸惑いを隠せない。
今まで蚊への憎しみと妹のためを思ってがんばってきたのに、自分の中で支えになっていた動機がいきなり無くなってしまった。
妹が強くなったのは嬉しい反面、複雑な気持ちになってしまう。妹が自分よりも危険な依頼を受けるとなると、なおさらだ。妹に危険なことはしてほしくない。妹が幸せに暮らせるなら、危険なことなんて俺がいくらでも引き受けてやるから。だから、モスキートハンターになんてなってほしくなかった。
モスキートハンターになるということは、モスキートゲートに触れて覚醒者になるということだ。当然、命を落とす危険性もある。
今までの覚醒者の傾向的に、家族に覚醒者がいた場合は、覚醒者になる確率は高い。そして、ゲートに触れて死亡する確率は下がる。覚醒するには遺伝的な要素も関係しているようだ。
しかし、それでも命を落とすリスクがあることには変わりない。当然、俺は猛反対した。
だが、綾は折れなかった。
「私もお兄ちゃんを助けたいの!私、絶対にモスキートハンターになるから!」
綾の言葉からは、強い意志を感じた。すぐには、返す言葉は見つからなかった。当たり前だが、綾には死の危険なんて犯してほしくない。しかし、今の綾を止めるすべも全く思いつかない。
「……死ぬかもしれないんだぞ。そんな危ないことをしなくても、俺が……」
「とっくに覚悟はできてる。もう決めてることだから」
取り付く島もなかった。
このまま反対したとしても、綾は勝手にハンターになろうとするだろう。18歳以上であれば、親の同意なしにモスキートゲートに触れることができる。
俺に「モスキートハンターになる」と伝えにきたとき、綾は18歳になったばかりだった。今思うと、伝えるタイミングを見計らっていたのだろう。俺に反対されても、自分の意志を貫き通せるように。
結局、綾はモスキートゲートに触れて覚醒者になり、モスキートハンターとして活動するようになった。
幸い、命を落とすことなくモスキートハンターになれたし、試験の結果はAランク。世間の人たちから羨望の眼差しを受ける立場にのし上がっていった。強さも俺の比ではない。
いや、Gランクハンターの二つ名がある俺と比較するのはおかしいか。全ハンターの中でも、妹はトップクラスの強さを手に入れたということになる。客観的に実力を比べてしまうと「お前が自分の心配をしろ」とツッコまれるレベルだ。
でも、いいじゃないか。いくら妹が強くなったといっても、俺のたった一人の妹なんだ。兄が妹を心配して、一体何が悪いというのだ。
そんなことを思い出しながら綾と買い物をしていると「ビーッビーッ」とけたたましいアラートが鳴り響く。その音は、協会から支給される特注品のスマホから発せられ、どこかで新たなモスキートゲートが発生したことを示していた。
「あっ……」
綾も支給されているスマホを手に取る。アラートは、俺に支給されているスマホだけではなく、綾に支給されているスマホからも鳴り響いていた。つまり、綾に初依頼の連絡がきたということだ。
「依頼きちゃった」
綾は苦笑いをした。その表情を見た瞬間、胸が締め付けられるような複雑な感情が押し寄せてきた。
綾は、本心では戦いなんて望んでいない。だってハンターになったのも”俺の力になりたい”という動機からだ。戦わなくて済むなら、それに越したことはない。
それでも、元々の前向きな性格も手伝って「よし、がんばるか」と気持ちを切り替えていた。こういうところは、本当にすごいと思う。我が妹ながら尊敬してしまう。
2つ下のランクから依頼がスタートするとはいえ、Cランクでも十分に危険な依頼だ。Fランクの俺なんかでは、生きて依頼を終えること自体難しいだろう。なにしろ、サポートがメインとはいえ、蚊と直接戦闘することになるのだから。
Cランクは、最前線で戦闘を行っているAランク・Bランクのサポートをしたり、うち漏らした蚊を撃退したりする依頼内容が多い。たまに、研究のための蚊を捕縛することもある。
対処する蚊の数も少ないので、Bランク以上のハンターより危険は少ないといえる。しかし、それでも現場では何が起こるか分からない。不測の事態だって起こることはある。
それに……嫌な予感がする。昔から嫌な予感が当たるというのは、特技のひとつだ。嬉しい特技ではないけど。
「なあ、綾。やっぱり今回の依頼は断らないか?なんか嫌な予感がするんだよ。Aランクハンターだったら、1回依頼を断ったくらいじゃ今後の依頼に影響しないだろうしさ」
高ランクのモスキートハンターは、協会からも重宝される。高ランクハンターは常に人手不足の状況ということもあり、何回か依頼を断ったくらいではキャリアに傷がつくことはない。
ただ低ランクハンターの場合は、話が変わってくる。言いたくはないが「代わりはいくらでもいる」という立場なので、何度か依頼を断ってしまうと、協会から仕事を回されなくなってしまう。
特に初回の仕事を断ってしまうと「やる気がない」と判断されてしまい、その後の依頼に悪影響を与えてしまう。俺のようなFランクであれば、簡単に依頼を断ることもできない。
しかし、綾は違う。貴重なAランクハンターなのだから。
「ありがとう、お兄ちゃん。心配してくれるのは嬉しいけど、私やるよ」
やはり、綾の決意は固い。
「それに、同じタイミングで依頼がきたってことは、お兄ちゃんと同じ現場にいくわけでしょ。お兄ちゃんが近くにいたほうが安心だし」
「たしかに同じ現場だとは思うけど、俺と綾だったら、配置される場所は全然違うと思うぞ。俺はゲートからだいぶ離れたところにいるはずだから」
「だから、そういうことじゃないの!一緒の依頼を受けてるってことが安心感になるの!」
こんなFランクハンターを頼ってくれて嬉しい反面、妹がピンチのときに駆けつけてあげられない無力さに悔しさも感じてしまう。
「そうか。だったら、これ以上は止めないよ。まあ、2ランク下の依頼だから大丈夫だと思うけど。くれぐれも無茶はしないようにな。もしヤバイと思ったら、全力で逃げるんだぞ」
冷静になって考えてみると、ハンターにおいて2ランク下の依頼は、難しい依頼内容ではない。むしろ「思ったより簡単」と思える内容になっているはずだ。多くのハンターが「余裕だったから、早く上のランクの仕事をやらせてほしい」と口々に言うくらいだから。
ハンター歴がそれなりに長くなると、界隈のいろいろな情報が耳に入ってくるようになる。それによって、良くも悪くも固定観念が生まれてしまう。
だからなのか、このときの俺は甘く見ていた。
妹の初任務で、あんな想定外の事態が起こってしまうとは……そのときの俺は想像もしていなかった。