Webライティングにおける才能・センスの正体

Webライティングにおける才能・センスの正体

Webライティングには才能・センスが存在する

人によっては受け入れ難いと感じてしまうかもしれないが、少なくとも私はそう考えている。もちろん、私の主張が絶対に正しいと言うつもりもない。

ただ、私自身10年以上Webライターとして活動してきて、キャリアと実績を積み重ねてきた。さらに、Webディレクターとしていろいろなライターさんの原稿を見てきて、そこでもそれなりの実績を出してきた。

そんな過去の経験から、Webライティングには才能・センスが存在していると確信している。

今回の記事では、Webライターの才能・センスの正体を解像度高く解説していく。今回お伝えしていることを熟読することで、今まで以上にWebライティングを有効活用できるようになるはずだ。

Webライティングに関わっているのであれば、最後まで集中して読み進めてほしい。

目次

Webライティングに才能・センスはある?

まず、多くのWebライターが聞きたくないであろう私の主張からお伝えしていこう。

冒頭でも述べたとおり、Webライティングの分野には「才能がない人」もいれば「才能がある人」もいる

感覚でざっくりというと、才能がある人は全体の1割程度。才能がない、向いていないと思う人は全体の1〜2割程度。あとは、努力次第でそこそこできるようになる中間層。というイメージである。

実際に、クラウドワークスやランサーズなどで外注ライターに執筆依頼をすると、嫌でも知ることになる。人によって原稿のクオリティに驚くほど差があるのだ。

できる人は、すぐさまこちらの要望にビタッと寄せてくる。しかし、できない人は何度指摘しても要望どおりの原稿にならない。

編集者の目線では、できるWebライターとのやり取りはスムーズになるので、コミュニケーションコスト・修正コストが圧縮できる。そのため、当然だが実力のあるWebライターに依頼をしたいと考える。

しかし、蓋を開けてみるとWebライターのなかには「才能がない」と感じる人が結構いるのである。

このような現実を突きつけられて、私は素朴な疑問を感じた。なぜ人によってここまでクオリティに差が出るのか、と。

これが私の嘘偽りのない感想だ。異論はあるかもしれないが、いちWebディレクターの戯言だと思って聞いてほしい。

Webライティングの才能・センスの正体とは

Webライターの原稿のクオリティに多大なる影響を与えるもの。それは間違いなく「才能」や「センス」といった類いのものである。

もちろん、ほかの要因も複雑に絡み合ってくるので、才能・センスだけで片づけられる問題ではない。ただ、間違いなく才能やセンスは大きな影響を与えている。

ただ「才能」や「センス」といわれても、いまいちイメージが湧かないと思う。

具体的にWebライティングにおける才能・センスとは何か?どのように形成されるものなのか?

これらをもう少し掘り下げて解説していこう。

「日々の思考プロセス」がWebライティングの才能・センスの正体

結論をお伝えしよう。Webライティングにおける才能・センスの正体……

それは日々の思考プロセスである。

つまり、普段から何をどのように考えて生きているか。これがWebライティングの才能・センスの正体だと私は考えている。

こちらもピンときにくいと思うので、角度を変えて解説したい。

そもそも「書く」とは何か

「書く」とは一体どのような行為なのか。深く考えたことはあるだろうか。

私なりに噛み砕いてお伝えすると「文字を使って思考を表現する行為」だと考えている。書くという行為は、脳内で考えていること、つまり思考プロセスがそのまま表現されてしまう。

もし「思考していないことを書く」なんて芸当ができる人間がいたら、ぜひ教えていただきたい。少なくとも、私の周りにはいない。

「書く」という行為の起点が「思考」になっている以上、書くことと思考プロセスは完全に直結している。これはどんな人間にも逃れられない、全ての人間に共通している絶対的な法則なのである。

普段、どんな思考プロセスで生きているだろうか

先ほどの前提をベースに考えているのであれば、あなたの普段の思考プロセスがWebライティングに反映される。

噛み砕いていうと、普段論理的な思考で生きている人は論理的な文章を書くのが得意だし、面白いネタや切り口を考えるクセのある人は、エンタメ系の文章を書くのが得意であることが多い。

人によって文章の質に差が生まれるのは「日々積み重ねている思考プロセスが違うから」なのである。

私は、Webメディア運営のディレクションをしているので、外部のライターさんに原稿執筆を依頼することが多々ある。

外部ライターさんにお願いするのは「SEOライティング」と呼ばれる書き方で、ひらたくいうと検索エンジンで上位表示させるためのWebライティングを依頼する。

SEOライティングで重要になるのは「問題解決のための文章をわかりやすく、かつ構造的に書くこと」だ。

構造的な文章を書く際には、論理的な思考の持ち主のほうがうまく書けることが多い。論理的な思考の持ち主は、必要な情報をモレなくダブリなく、わかりやすく書いてくれる。

しかし、論理的な思考が弱い人が書くと、文章にヌケモレがあったり、論点が飛んだり、話が重複したり、余計な文章を盛り込んで話が長くなってしまったりする。

これらは、SEOライティングにおいては大きなデメリットになってしまう。

論理的な思考が弱い人は、SEOライティングに向いていない可能性が高い。つまりSEOライティングに限った話では、才能がないということだ。

多くのWebライターが犯している致命的な過ち

ここで多くのWebライターが犯している致命的な過ちについて触れていこう。

端的にいえば、自分の苦手な書き方を要求される依頼を受けてしまっているということだ。

断言してもいい。日々の思考プロセスとは違う書き方を要求されてしまうと質の高い記事は書けない。なぜなら、求められている書き方を表現できる思考プロセスが自分のなかに無いからだ。

思考プロセスに無い書き方をしようとすると、時間が掛かるうえに、なかなかクオリティは上がらない。クライアントからの評価もイマイチになるから単価も上がらず、時間がかかる割に稼げない。このような負のスパイラルに突入してしまう。

多くのWebライターが才能・センスの正体を理解していないため、自分に向いていない書き方をして四苦八苦しているのが実情だ。

このような負のスパイラルを回避するためには、自分に向いている書き方を見極めて、それを活かした戦い方をする必要がある。つまり自分の長所を活かすということだ。

「自分の長所を活かす」と聞くと当たり前のように感じてしまうかもしれないが、Webライティングにおいて極めて重要なポイントなのである。

才能を努力で補うのは想像以上に大変

才能を努力で補うのは想像以上に大変だ。これはどんな分野にも当てはまると思う。

才能がある人は有利に競争を勝ち抜き、才能がない人は厳しい戦いを強いられる。これが世の常だ。

Webライティングにおいて「足りない才能を努力で補う」と考えるのはナンセンスだと考えている。

そもそも才能・センスがある人は、努力をしているわけではない。普段から自然とそういった思考プロセスで生きているから、自然とできてしまうのである。

論理的に話せる人は、論理的な文章が書ける。セールスが得意な人は、セールスライティングができる。「普段から考えている」ということは、それだけで大きなアドバンテージなのである。

普段、論理的に考えない人がWebライティングのときだけ論理的に考えたところで、全体の時間で考えたら数割にしか満たない。それでは、普段から論理的に考えている人に、同じ土俵で勝てるわけがないのである。

「だったら、普段の思考プロセスを変えればいい」

このように考えるかもしれない。たしかに、それもひとつの手だ。ナシではないと思う。

ただ、念頭に置いていただきたいのは、普段の思考プロセスを変えるのは、そんなに簡単なことではないという点だ。

その理由も詳しく解説していこう。

思考のクセは簡単には変えられない

生きている時間が長いほど「得意な思考プロセス」が確立されている。

思考とは、突き詰めると脳内の電気信号だ。脳内で発生する電気信号によって、人は考えることができるし、体を動かすことができる。

脳というのは、よく使う神経回路は発達するし、逆に使わないと脳細胞が死滅していく。このあたりは、たぶん義務教育で習っていると思う。

この前提で考えるなら、使用頻度の高い思考プロセスは、頻繁に電気信号が通るため神経回路が強化されていく。逆に使用頻度の低い思考プロセスは、電気信号が通らないので神経回路が弱くなっていく。結果、その脳細胞は死んでいく。

そのため思考プロセスに無い書き方を要求されても、まず書けない。だって神経回路が無いのだから。年齢を重ねるにつれて使っていない脳細胞は死滅するから、その傾向は顕著に表れてくる。

実際にやっていただくとわかるのだが、思考プロセスに無い書き方で書こうと思うと、めちゃくちゃ疲れる。

新しい思考プロセスを身につけようと思っても、最初は神経回路が弱いし、強化されるまで時間がかかる。多大なる時間と労力を投下しなければ、使い物にならないだろう。

さらにもう1点。脳は無意識に消費エネルギーを抑える性質があるため、自然と得意な思考プロセスに頼ってしまうようになる。結果、苦手な回路はますます使われなくなっていくのである。

私も向いていないタイプ

今まで散々ネガティブなことを書いてきたが、ここで朗報がある。

特定の書き方に限っていえば、後天的にスキルを磨いていくことは可能だ。特にSEOライティングは、向いていないタイプだとしてもスキルを高めていきやすい。

偉そうにこのようなことを書いてはいるが、私は元々SEOライティングやセールスライティングが向いていないタイプだ。

「ヌケモレが多い」「ダラダラと前置きが長い」「結論から話さない」「論理が飛躍する」「話が重複してしまう」などの致命的な欠陥をいくつも抱えている。

ここだけ切り取ってしまうと絶望的な状況だ。しかし、長年の積み重ねである程度のラインまではスキルを磨くことができた。

セールスライターとして勤めていた会社では、原稿を任されたプロモーションで3,000万~6,000万円程度の売上は出ていた。SEOライティングでは月間10万PV以上の個人ブログを作ることができたし、今勤めている会社でもそこそこの実績は出せている。

上を見ればキリがないが、中の上くらいの実績は積んできたのではないかと思う。向いていないところからスタートしたことを考えたら、悪くない実績ではないだろうか。

脳科学の世界では、論理的な思考は後天的に磨くことが可能といわれている。私の立場から全ての分野で弱点を克服できるとはいえないが、少なくとも論理的な思考の部分に関しては改善の余地がある。

幸いにも、私は20代前半で自分の弱点に気づくことができた。そのため、ある程度早い段階から欠点を補うために時間と労力を投下できたのである。

もちろん、もっと早くから気づけたらよかったとは思う。それでも30代で気づいていたら、もっと厳しい戦いを強いられていたはずだ。20代で気づけて改善していけたのは、運がよかったと思っている。

このような経験をしてきているので、SEOライティングやセールスライティングは、訓練次第である程度のレベルまでは到達できると断言できる。

ただ、ガムシャラにやればよいという話ではない。上達するためには、押さえなければいけない条件がある。それらをこの記事では書ききれないので、機会があれば別の記事にまとめたいと思う。

あなたに向いている書き方に取り組むのが吉

この記事を通してあなたにお伝えしたいのは、あなたには、あなたに向いた書き方があるということだ。

論理的な思考が得意ならSEOライティングが向いている可能性が高い。おそらくセールスライティングにも適性があるだろう。

面白い企画や切り口が考えられるなら、エンタメ系の記事でたくさんの人に笑顔を届けることができる。

人と違う独特な視点や主張を持っているなら、エッセイ・コラム・詩・小説などにチャレンジしてみてもよいかもしれない。

向いている書き方をコツコツと積み上げていくことで、あなたの書いた文章が人の目に止まる可能性が高くなっていく。少しずつファンができて、仕事の依頼が増えて、仕事の単価が上がっていくことだろう。

向いていない書き方をしても労力の割にリターンがないので、疲弊してしまう可能性が高くなる。

たしかにWebライティング全体を見てみると、稼ぎやすい書き方というのが存在している。その代表格がセールスライティングだ。

売上に直結するライティングなので需要も多く、成果報酬などで単価を上げやすい。一流のセールスライターになると、とんでもない金額を稼いでいる。

そういったレベチの世界を知ってしまうと「自分もそうなりたい」と思う気持ちが出てくるかもしれない。しかし、これは才能のある人がコツコツとキャリアを積み重ねた結果、たどり着ける境地だ。

才能のない人が取り組んでも、成果を出すことは難しいだろう。

隣の芝生は青く見えてしまうものだ。しかし、そこに目を奪われすぎると、自分の持ち味を活かせずに振り回される可能性が高い。

あなたの才能を向いていないことですり減らしてしまう前に、向いている書き方に目を向けて取り組んでいただけると、この記事を書いた甲斐があるというものだ。

今回書いた記事がお役に立てたなら嬉しい限りである。

Webライター ふくきた

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